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5月もの展示中です(鎧兜・鯉のぼり・五月人形)

 

ひな祭りも終わり・・・次は男の子の節句ですね 😮

トーコーでも5月物、展示始めました~!

 

 

 

~5月の節句の由来~

中国の故事の中に、流れの激しい滝(竜門の滝)を登り切った鯉が竜となり、

天に登った「登竜門」の伝説があります。
また、鯉は清流だけでなく、沼でも池でも生きられる生命力の強い魚ということも理由の一つかもしれません。江戸時代、武家では男の子が生まれると、その家の家紋が入った「のぼり」などを立てていました。

 

一方で、町人が力をつけてきた江戸中期頃になると、町人の間では「登竜門」の伝説にちなんで、「どんな環境にも耐え、立派に成長するように」と立身出世を願って鯉のぼりを飾るようになったそうです。

 

 

 

 

端午が男の子になった理由

古来おこなわれていた宮廷での端午の行事も、時が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わってゆくにつれ、だんだんと廃れてきました。

しかし、武士のあいだでは尚武(武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになったのです。

やがて江戸時代にはいると、5月5日は徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が、式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じるようになりました。

また、将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝いました。

このような時代の変遷のなかで、薬草を摘んで邪気をはらうという端午の行事が、男の子の誕生の祝いへと結びついていったと考えられます。やがてこの風習は武士だけでなく、広く一般の人々にまで広まっていきます。

 

はじめは、玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形、また紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていったのです。

さらに江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人の間では鯉のぼりが飾られるようになりました。

 

 

たくさん展示していますので、ぜひ一度ご来店ください。